筆者の私が清水元大使に初めてお会いしたのは、2004年の夏でした。当時筆者は、日本の国費による外国人留学生の受入れ制度へ応募しており、2次選考である面接試験で清水大使(当時、在モンゴル日本国大使館にて参事官)が面接官でした。日本に留学できる機会を得たことに対して個人として感謝するのは無論のこと、何より大使がモンゴルの発展のために行って来られたご活動及びモンゴルへの想いに一人のモンゴル人としてこの場を借りてお礼し上げたいです。

大使は2016年12月退官後、母校である中央大学にて特任教授として、「国際法・国際関係論」を講義で、ゼミでは、モンゴルを教えられています。講義は300人近くの学生が受講しており、ゼミも約20名の受講生がいます。講義はたまたま今回がモンゴルをテーマにした内容でしたが、ゼミではモンゴルについてかなり詳しく取り扱っており、学生たちも既にモンゴルに行ったことがあったり、モンゴル国立大学の学生たちと日本語で文通をしていたりしています。今回のゼミではその文通の結果報告会を開催され、両国の学生たちの価値観や考え方の違いがお互い理解できる非常に貴重な場になりました。

このインタビューでは、大使はなぜ退官後「教える」道を選ばれたのか、なぜ教育にここまで拘られるのか、に迫りました。



― アマルバイノー。2019年になって、少し時間が経ちますが、2018年度を振り返っていかがだったでしょうか。

2018年は、私にとって最愛の母を見送る一方で、娘に双子の赤ちゃんが生まれるという、生と死を、人間の生命の尊さや有難さを強く感じた年でした。また、中央大学での授業が開始し、国際関係論やモンゴルゼミを担当するなど、先生としての活動が本格化した年でもあり、大変忙しい1年となりました。

― 大変な1年だったようですね。さて、大使はモンゴルからご帰国されてから丸2年が経ちました。ご帰国後は41年お勤めになられた外務省をご退官されたと伺っております。少しはゆっくりできましたでしょうか。

退官後1年目は、千葉工業大学だけだったので、比較的ゆっくり過ごせました。東京と故郷の大分を行ったり来たりしながら、モンゴルにも4回も訪問しました。2年目は中央大学での授業が始まり、講義の準備で忙しい中で、大分の母に会うために毎月帰っていましたので、大変忙しく感じました。
それでも、モンゴルには昨年3回は訪問しました。私にとっての最大にリラックスできることは、私が勝手に「九州のアルハンガイ」と呼んでいる大分県九重連山のふもとにある故郷に帰ること、モンゴルに行って郊外に出かけることの二つです。それが、何よりの息抜きになっています。

― 「九州のアルハンガイ」とは面白い表現ですね。私も一度大分には行ってみたいです。さて、今回お邪魔させて頂いております、中央大学での授業ですが、どのようなきっかけで始められたのでしょうか。  

中央大学は私の母校です。たまたま、同大学の商学部の国際関係論の先生が退職されて欠員が生じ、私にご縁をいただいたのです。母校は創立が1885年と日本の私立大学の中でも最も古い大学の中の一つですが、国際関係では他の大学に立ち遅れていると感じていました。
その意味で、大学OBとして母校の学生に国際問題に関心をもってもらい、豊かな国際人を目指してもらいたいという気持ちで授業をさせていただいています。

― 学生たちが自らモンゴルに出向いて、モンゴルの学生たちと交流されたそうですね。皆様、モンゴルのどの部分にご関心を持って下さっているのでしょうか。  
そうですね、2年生はリサーチ・ゼミで商学部だけでなく、文学部や法学部など他の学部からも参加できる中央大学ならではの珍しいゼミで、モンゴルの観光開発の課題について研究しています。学生は去年9月にモンゴルを実際に訪問してMIATの幹部や政府やウランバートル市の観光局長さんたち、旅行会社などを尋ね回ったほかカラコルムに旅行して,政策面だけでなく旅行の現場の視察もしてきました。ゼミ員は当初モンゴルのことは、草原、ゲル、大相撲のモンゴル力士ぐらいしか知りませんでした。しかし、実際に訪ねてみるとウランバートルが意外と大都会であること、様々な文化や伝統が残っていること、そして若者はそんなに日本と変わらない生活をしていることなど知って大変強い印象を受けてきました。
また、学生たちは、ホームステイをさせていただきモンゴルの方と実際に触れあえたことで、遠い存在のモンゴルをとても身近に感じることができたと喜んでいます。滞在中、外務省で開かれた日本とモンゴルの交流のホラルダイやモンゴル国立大学日本語学科、新モンゴル高校で、それまでの調査結果の発表と交流ができたこともとても滞在を意義あるものにできたと思います。1年生のゼミは、モンゴル基礎ゼミと呼んでいますが、お互いに関心のあることをモンゴルの学生と質問しあって教え合うという形を授業に取り入れており、彼らの関心はとても広範で、モンゴルの伝統スポーツ、モンゴルの経済発展の可能性、モンゴルの政治体制、雄大な自然や景観、モンゴル民族と日本民族の違いなど、文化・芸術・スポーツ・経済・政治など全般に渡っています。

 今回は1年生の学生たちがモンゴルの大学生との文通の結果報告をされていましたが、我々が当たり前だと思うことに対しても疑問を持たれていて面白いですね。  

モンゴル人として生まれてよかったことは何ですか、モンゴルの大統領制度についてどう思いますか、チンギスハン以外で尊敬する人は誰ですかなど、日本の学生の素朴な質問に答えてもらい、逆に日本の学生にもたくさんの質問をいただき、それぞれに回答していく中で、普段あまり意識しなかった日本という国を考える機会をいただき、このプログラムをやって良かったと思っています。
最も大切なことは、お互いの国のことをより詳しく理解しあえたことでしょう。

― とてもクリエイティヴな方法ですね。ところで、昨年10月30日、国際医療福祉大学(International University of Health and Welfare)がモンゴル人学生を対象に「IUHW奨学金」制度を新設するというニュースを拝見しました。どのような制度なのでしょうか。

2019年から毎年10名を限度として、今後5年間に最大50名のモンゴルの若者を、同大学の医療専門技術系の学部にフルスカラーシップで受け入れるというものです。卒業後はモンゴルに帰国しモンゴルの医療サービスの向上に貢献することが期待されています。

「モンゴル人の健康は、国家存立の基盤だと確信しています」

― 本当に素晴らしい取り組みです。大使はこちらのプロジェクトにはどのように関われたのでしょうか。  

同大学は私が大使をしていた2016年から医学部にモンゴル人留学生をフルスカラーシップで受け入れています。大使時代に医学部留学生の選考についてアドバイスをしたことが始まりです。しかし、モンゴルでは、医療人材の養成は医者にとどまらず、薬学、看護学、検査技師など各種の医療専門職が不可欠です。私は、モンゴル医療科学大学の附属病院の実現に尽力し、同大の名誉博士号をいただいているので、モンゴルの医療の発展に貢献したいと思ってきました。
モンゴル人の健康は、国家存立の基盤だと確信しています。ですから、国際医療福祉大学の高木理事長に医療専門職の養成をお願いした結果、今回の奨学制度が実現したものです。なお、高木理事長の義父は桂木鉄夫という人で、自民党の国会議員をしていた1969年に日本の初めての超党派議員訪問団の団長としてモンゴルを訪れ、ツェデンバル書記長と日本との国交樹立の交渉を行った人です。

― 長い歴史が背景にあるのですね。大使はモンゴル駐在時、多くの大型案件以外にもモンゴルの学校改修の案件など教育のためのお仕事を長らく続けられていました。今回の医療福祉大学のプロジェクトや中央大学でのお仕事をとっても、教育に対する何か特別な思いがあるのでしょうか。

国家の発展を可能にするのは人です。日本では、「国づくりは人づくりから」と昔から言われています。300年近い鎖国によって世界から立ち遅れていた日本が明治維新の時に最も力を入れたのが教育です。西欧の多くの教授を日本に招き、さまざまな外国の教科書を日本語に訳し教育しました。また、明治維新政府で活躍したのは、伊藤博文や岩倉具視などいち早く西欧文化を学んだ人たちでした。
ですから、今日の日本の発展の基礎は教育にあると思います。が、教育の重要性は、どの国においても同じことがいえると思います。日本はモンゴルの発展のためにインフラ整備をずいぶんやってきましたが、私自身は教育に最も力をいれて活動した外交官であると自負しています。良く、私が言うのは、「モンゴルの人々がきちんとした教育を受け、健康であるならば、どんな困難も乗り越えられる」ということです。ですから草の根無償活動などで必死に地方の学校の改修を行いましたし、留学生の増加のためにも力を尽くしました。ちなみに、千葉工業大学も2019年から留学生の受け入れを開始します。

「国づくりは人づくりから」

― 教育と言えば、大使は1977年に初めてモンゴルに来られましたね。当時のモンゴルはまだ社会主義国家でしたが、その時の教育と今の教育水準をどのように比較されますか。

教育水準を簡単に比較することはできません。社会主義時代には今より良かった点も多々あると思います。地方の優秀な学生をソ連や東ドイツに沢山留学させていました。大学の数も少なく、本当に優秀な人が選ばれて大学に行っていたと思います。しかしながら学べる環境と自由さという面では当然現在の方がはるかに恵まれています。社会主義という思想的制約が今はありません。選択肢が広くなったことは間違いないです。
片や、小さい時から外国語で学び大学は外国に行くといったような、お金持ちしかいけない学校があります。多くのお金持ちの子供がこのようして育っていますが、果たして外国の大学を卒業したらモンゴルに帰ってくるのでしょうか。帰ってきてモンゴル人として普通に仕事ができるのでしょうか。私は疑問に思っています。また、外国の大学に何度も、長きに渡り行っている人もいます。私は、これらの人を「職業学生」と呼んでいます。学ぶことが職業になっており、社会に貢献しない人のことを言います。一つ残念なのは、モンゴルが外国(特に英国や米国)の真似をして外国語の授業を大学1年次ではやらなくなったことです。これは大変な間違いだと思います。モンゴルはモンゴルのニーズにあったカリキュラムを組むべきでしょう。

― 教育分野のみならず、モンゴルはまだまだ発展途上の国ですが、大使から見て、これからモンゴル人がより身につけなければならないことや学ぶべきことはなんでしょうか。

私は、大使時代に最も力を入れて進めた政策に工学系人材育成プログラムというのがあります。モンゴルに行くと外国、特に南の中国からの商品で溢れています。外国から物を買うということは、外貨が出ていくことを意味します。自分の国で生産できる技術力を身に着けることが大切です。日本の高専や工業系大学で学ぶ人がさらに増えてほしい。その中から、将来、Made in Mongolia の素晴らしい技術や商品を開発する人が出てくると信じています。
あまり言いたくないのですが、モンゴル人は頭のいい人が多い。今は、その頭の良さが十分に生かされていないか、別のことに頭の良さが使われている気がします。

― 私自身も日本に留学する際は、大使に面接頂けましたね。私のような日本留学組にご期待されることはなんでしょうか。

日本で学んだ人にはまず豊かになってほしい。それは、経済的な面でもそうですが、人間としてバランスのとれた、客観的にものごとを評価できる余裕というか、そういうものを身に着けて、それを失くさないようにしてほしいです。
そして、もちろん、モンゴル国の発展に貢献できる人材になってほしいと思います。明治維新で外国に派遣された日本の青年たちが日本を造り替え、豊かな日本の発展に貢献したように、日本で学んだモンゴル人学生が、それぞれの分野でモンゴル社会のために役に立つ人材になってくれたら嬉しいです。

ー 我々も肝に銘じて頑張ります。最後に、大使の2019年の抱負を教えてください。

私は、一人でも多くの優秀なモンゴルの若者に日本で学んでほしいと思っており、留学が実現するよう引き続き努力したいと思います。若者にモンゴルの魅力を伝えること、留学生支援、若者間の交流促進、観光開発の提言などをやる一方で、モンゴルに関する本をまとめたいと思います。

さらには、故郷の山に植える桜の苗木を500本ぐらい種から育てたいというのが今年の目標です。それから、今年は妻とゆっくり日本のどこかを旅できたらいいと思っています。

ー ありがとうございました。今年もmonnichi.todayをよろしくお願いします。


■ 清水 武則 (しみず たけのり)

1952年、大分県生まれ。1975年中央大学法学部を卒業、外務省に入省。1977年にモンゴル国立大学へ留学、1989年、2002年、2011年にそれぞれ4回在モンゴル日本国大使館にて在勤。2011年から2016年期間は、在モンゴル日本国特命全権大使を務め、2016年12月20日退官。日本からモンゴルへの大型インフラ案件における支援はもちろん、地方学校の改修などを支援する「草の根・人間の安全保障無償資金協力」活動に尽力し、その功績が政府より大きく評価され、モンゴル国教育科学省教育分野功労者賞(2004年)、モンゴル国労働功績紅旗勲章(2015年、日本人として初の高位勲章)など数多くの国家賞を受賞。
2018年11月24日放送テレビ朝日の「モンゴル編!世界で聞いた有名な日本人ランキング」でモンゴルで一番有名な日本人第5位に選ばれたことも、大使のモンゴルへの貢献は政府のみならず市民にも広く知られている一つの証拠でもあろう。 現在は、中央大学商学部にて特任教授として国際法・国際関係、モンゴルを教える。